薬局リレーブログ ~ステージ調剤薬局~

は~い!ご指名を受けましたステージ調剤薬局です。当店は前回のブログに掲載されたファーマシー逆瀬川のすぐそばにあります。

宝塚市内にはグループ店が5店舗もあり、そろそろネタもつきてきたので、今回は宝塚の由来と歴史を少し紹介させて頂きます。
宝塚は、古く縄文・弥生時代にさかのぼる昔から、人々の営みが続けられてきた土地。200基を超す古墳などが、その歴史を物語っています。1701年に岡田渓志という人物が編さんしたとされる地誌・摂陽群談には、宝塚について「この塚のそばで物を拾う者に必ず幸せあり。このことによって宝塚の名が付いたといわれている」などと紹介されています。「塚」とは市内に数多く残る古墳のこと。幸福をもたらす土地として人々に語り伝えられ、宝塚の地名が生まれたと考えられています。

中世になると農耕が盛んになり、また17世紀後半には山本地区の植木産業が本格的な発展を見せ始めました。街道の宿場町として小浜地区が栄えたのは江戸時代のころ。小浜を通っていた旧街道沿いには、今も多くの寺社や文化財が点在しています。宝塚が観光のまちとして知られるようになったのは、明治以降のこと。明治17年、武庫川右岸で温泉が発見され、明治20年に宝塚温泉が開業しました。明治30年には阪鶴鉄道(現在のJR宝塚線)が開通。

明治末には小林一三らの努力により、箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄宝塚線)が開通しました。小林氏はさらに武庫川左岸に新温泉を開業させ、大正3年にはそこで宝塚少女歌劇(現在の宝塚歌劇)が誕生。その後は「歌劇と温泉のまち」として広く知られるようになります。(宝塚市HP:宝塚市まちの歴史より)

  


            

《末広中央公園》市民の憩いの場として子供からお年寄りまで幅広い年齢層の方に親しまれています。また、防災公園でもあり水道水と直結した「耐震性貯水槽」には約100トンの水が貯められています。災害時に給水が停止した時には、約8200人の飲料水として3日間給水ができるそうです。広場の向こうの建物は市役所です。

    


《伊和志津神社》宝塚随一の古社。境内の下を道路が通っているとは思えないほど閑静でいつも掃除が行き届いた神社です。


    




《彩花苑》本店は尼崎にある和菓子屋さんです。なんと言っても一押しは「かりんとう饅頭」カリカリの食感を味わうには当日中に戴くか、冷凍を買って戴く少し前に解凍して下さい。他にも「どらやき、焼きプリン…」充実した品揃えです。
薬局と家との往復ばかりの日々。たまには薬局の周りをのんびり歩いてみて下さい。意外な発見かあるかもしれませんよ。
ではウイング調剤薬局さんよろしくお願いします。